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大阪高等裁判所 昭和26年(う)77号 判決

控訴人 原審検事 中藤幸太郎

被告人 大岩鉱業株式会社 外一名

主文

本件控訴はこれを棄却する。

理由

検察官の控訴趣意第一点について。

所論は労働基準法第二十条にいわゆる「労働者を解雇しようとする場合」というのは本件のごとき使用者が業績不振等の理由により退職を要望し労働者がこれに応じたような場合をも含むべきものと主張するのである。思うに同法条にいわゆる「労働者を解雇しようとする場合」とは使用者が労働者の意思如何にかゝわらず一方的に雇傭関係を終了させようとする場合であつて、労働者の真意に基いて右関係を終了しようとする場合を含まないものというべく、従つて労働者の意思に基くという形式をとつていてもその実は労働者の真意に基かない使用者の一方的な行為である場合はもとより同法条に該当するけれども、労働者の真意に基く以上、その動機が転業その他の純個人的事情でなく、使用者経営上の行詰とか事業の将来性といつた使用者側の事情をも考慮したにあるにもせよ使用者の一方的解雇にはあたらないものと解するのが相当である。

本件においてこれを記録に徴するに、昭和二十三年十二月十七日被告人柴田より杉浦仁郎外四十七名の労働者に対し会社の窮状を訴え退職を要望したのに対し、労働者側がこれを一蹴したため、改めて被告会社より同月二十日解雇予告通告あるや、労働者側で大会を開いて慎重協議の結果、予告期間の満了をまたずして任意退職することにより柴田をして賃金支払促進方善処を期待するのが実質的に有利なりとの結論に到達し、同月二十五日退職届を提出し会社がこれを受諾した結果本件雇傭関係が合意によりこゝに終了するに至つた事実、換言すれば柴田からした退職要望(合意解約申入)は労働者側が一蹴したゝめそのまゝとなり次で被告会社からした同法第二十条による合法的な解雇予告通知に対し、予告期間満了による雇傭関係終了に先だち、労働者から退職届出(合意解約の申入)をなし会社が受諾し雇傭関係が終了するに至つたこと、即ち理論的には被告会社の要望を労働者が受諾したという所論事情によるものではなく労働者の解約申入を被告会社が受諾したことがきわめて明白であり、唯労働者の一蹴した当初の柴田の申入は、会社の解雇予告通告に善処するあたり、会社の窮状認識あるいは利害関係打算上斟酌されたいわば意思決定の過程における動機に過ぎないものというべく、従つて前叙の理により本件は右法条に該当しないものであるから、これと同旨にいでた原判決はまことに正当であり、論旨は同法条の不当な拡張といわねばならぬ。

同第二点について。

所論は本件労働者は任意退職の意思はなかつた旨主張するのである。

しかし退職を積極的には欲しないことゝ退職の意思表示が真意にいでたことゝは必ずしも両立し得ない観念ではない。本件労働者が会社の窮状のため離職することは情においては忍び難いところであろうが、愼重に利害打算の結果賃料不払の懸念ある状態において雇傭関係の当然終了する一ケ月の予告期間内漫然労働を継続するの愚を排し、賃金支払の確保を柴田の善処に期待し期間前退職を決意したことは真に領し得るところであり、退職届が真意に基くこと第一点において説明したとおりである。更にかゝる事情下における退職が一齊に行われることは何等異とするに足らぬところであつて、これあるのゆえをもつて退職が真意に非ずとする資料となすを得ない。

同第三点について。

所論は本件のごとき使用者側の処置を是認するにおいては労働者の経済的地位に鑑み右法条の精神を没却するに至ると主張するのである。

思うに労働基準法は同法第二十四条第百二十条において賃金の定期支払もまた労働者の最低生活保障の趣旨において刑罰をもつてその履行を確保しようとしているのであり、もし労働者にして使用者において賃金定期支払の能力ありとするならば、予告期間の経過を待たないで退職するまでもなく別個の救済手段もあつたであろうし、またもし柴田が会社の窮状に藉口して予告期間中の賃金支払を事実上免れるため、会社の窮状をことさらに誇張し、もつて労働者をして会社の賃金支払能力につき錯誤を生ぜしめたというような理由の下に退職届の無効等を訴えたような場合であれば自ら別個の問題を生じ得るであろうが、本件においてかゝる事情の全然認め難い以上、労働者がその大会において愼重協議の結果提出した本件退職届(即ち解約申入)に基く合意をその主観的動機を云為することにより抹殺無視しようとする所論にはとうてい左袒し難いところである。

更に労働基準法の精神が労働者の最低生活を保障するにあること勿論ではあるが、同法もまた労働立法における労資対等の理念(同法第二条)の一具現である以上、労働者の優位は使用者の履行不能の場合においても絶対的に保障するという趣旨ではないこと同法第二十条第一項但し書に徴しても明白であるから労働者を実力非合法斗争に駆りたてる懸念をもつて同法第二十条本文の解釈態度を云為する所論もまた理由ないものといわねばならぬ。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)

検察官の控訴趣意

原審判決は本件公訴事実である被告人会社は鉱物の採掘及販売を目的とするもの、被告人柴田太信は新宮市新宮所在の被告人会社の三熊炭鉱営業所の支配人格として労務、人事等同営業所全般の業務を担任し居りたるものなるが、該業務に鞅掌中、被告人柴田は被告人会社の為昭和二十三年十二月二十五日頃当時同営業所に於て雇傭し居りたる労務者杉浦仁郎等四十八名を、三十日分以上の平均賃金を支払はずして解雇したるものなりと云うに対し本件被告会社の労働者杉浦仁郎外四十七名は被告人柴田太信より昭和二十三年十二月十七日任意退職を要望せられ若し任意退職すれば十二月分賃金及六、七、八月分の賃金差額金を自分の責任で支払ひ得るも然らざれば金は何日になるか見当つき難しと申渡され、更に同月二十日解雇予告通告を受けたる為、前後二回大会を開いて利害得失を考慮の結果同月二十二日「昭和二十三年十二月二十五日を以て退職致し度此段御届けいたします」との書面を提出して異議を留めず任意退職したものと認定せられ、結局犯罪の証明之れなきに帰すると認めて無罪の判決を言渡されたが右は事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明かである。

一、労働基準法に謂う使用者が労働者を解雇しようとする場合と云うのは、本件の如き被告会社の業績不振等により会社側より退職を要望した場合の如きものをも含むものと解すべきである。所謂任意退職とは真に労働者側の都合により即ち転職、転業、結婚等の労働者個人の事情に基き退職するときを指すものにして基準法上の保護を必要としない場合である。使用者側よりその都合に原因し退職を要望して之に応じて退職届の提出あるが如き場合は、その労働者に対し依然退職時の経済的保護を必要とすることは明らかである。然るに原審判決は本件労働者が被告人柴田太信の退職要望に基因して協議の結果、任意退職を決議したものであり、労働基準法第二十条の場合に該当しないと認定したのであるから之は事実を誤認するものである。

二、本労働者が所謂任意退職するの意思なかりしことは、

(イ)検察官提出の検第二号の退職届が初め「今般会社の都合により十二月二十五日限り退職いたします」と云う文面であり、次で単に「昭和二十三年十二月二十五日を以て退職致します」となりあること(記録五一丁以下)及右第一の退職届が十二月二十一日第二回の大会の決議の後に行はれたものであり、第二回の訂正した届出は被告人柴田が「会社の都合により」との記載は金融の都合上具合悪いと申立てたる為であることは証人杉浦仁郎の証言(記録一一四裏以下及三一二裏以下)同木田陽大の証言(記録一二一裏以下)及原審公判廷に於ける被告人の供述(記録四五〇裏)により明らかである。第二回の労働者の集合による決議が各労働者の最後の意思決定であるが、その結果出た書面が右の「会社の都合により退職する」との文意の通りの意思であつたことは洵に明らかである。

尚本件と類似参考裁判例として東京地方裁判所民事第十部昭和二十四年(ヨ)第三四六九号仮処分事件決定があり、同決定では「退職金をとるため依願退職願を提出したがその際解雇を承認するものでないことを附記したところ受理を拒絶せられ改めて通常の退職届を提出したと認められる申請人長野隆行については、いずれも解雇を承認する意思がなかつたものと認められる」と説示せるものがある(記録五〇一裏)

(ロ)被告人柴田太信が十二月十七日労働者を集合せしめた上「之の際任意退職すれば十二月分賃金其の他を支払ひ得るが然からざれば金は何日になるか見当つき難い」と申して退職を要望したことは原審の認定せられるところであり、更に本件労働者が解雇予告期間満了迄待つ場合に於ても賃金支払が何日になるか分らん事情を聞き、その為時恰も年末に際し経済的に困憊し被告人柴田の右申出に対し不本意乍らも応ぜざるを得なかつた実情は証人杉浦仁郎の証言(記録三四〇以下)同笹忠の証言(記録三五二以下)同小倉市助の証言(記録一二五裏以下)等により明らかである。

(ハ)本件を労働者の解職を任意退職と見るは余りにも実情に沿はないものと思料する。本件被告会社は昭和二十三年十二月当時に於て労働者合計約六十名(労働者四十八名、職員十二、三名)あつたことは被告人柴田太信の供述(記録四三五裏)により明らかであるところその中四十八名が退職したのであり、且つその中に夫婦共被告会社に雇傭されていたものが四、五組あつて之も同時に罷めたものであることは証人杉浦仁郎の証言(記録三四三裏以下)により明瞭であるが、斯る退職が退職者の任意と見能はざるものと思考する。本件労働者等は前叙述の如く被告会社側及被告人柴田太信の要望に基き退職したのである。

以上の如き実情にある本件に於ては即ち使用者たる被告会社側より労働者を解雇したものと認むべきである。

三、事実上の問題として本件の如き使用者側の処置が合法なりとすれば労働者はその経済的弱者である為、常に本件被告会社の如き要望に事実上応ぜざるを得ずその結果労働者をして合法斗争を選択し得ずして所謂実力非合法斗争に駆り立てることゝなる。労働基準法第二十条は労働者に対する最低の保障である。故に之を厳格に解することは法の目的を達し得ない結果を生ずるものと思料する。

前叙の理由により原審判決は事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明かであるから、原判決は破棄せらるべきものと思料する。

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